北京五輪閉幕・カーリングが日本中の昭和脳オジサンにささりまくる「ある理由」

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中国・北京で行われた冬季五輪が2月20日の閉会式をもって幕を閉じた。開幕前はあまりの注目度の低さが懸念されたがフタを開けてみれば冬季五輪過去最高のメダル獲得数となった日本選手団の健闘もあり、最終的には大いに盛り上がりを見せた。中でもカーリング日本代表・ロコソラーレの銀メダルを獲得する頑張りは日本中が注目。ここ数年は五輪のたびにブームが訪れている感はあるものの、かつてはマイナー競技の代表格だったカーリングが日本中の関心を集めるまでになった理由はどこにあったのか。

オジサンたちに訪れた「カーリングロス」

 冬季五輪2022が幕を閉じたが、閉幕直前に毎日新聞が行ったアンケート「北京冬季五輪で最も印象に残ったシーン、選手は?」で第一位となったのはスノーボードハーフパイプの平野歩夢選手だった。
 たしかにドラマにあふれた金メダルではある。2回目の試技で人類史上初のトリックを完璧に決めたにも関わらず疑問の残る判定で2位に甘んじてから、最終試技で同じ同じトリックをさらなる精度と高さで決めて意地の大逆転金。絶対王者ショーン・ホワイトから祝福を受け世代交代を印象付けられるシーン。その後のインタビュー談話におけるふるまいを含め、大いに注目を浴びたのは確かだ。
 2位はスピードスケート女子1000mの金メダルを含め1大会で4個のメダルを獲得した高木美帆選手。

ただしこれは大会の最終日前に行ったアンケート。体感的には最後に「もっていった」のはカーリング女子ではないか。
 五輪最終日の決勝、結果的に銀メダルにとどまったが、注目度はまさに最高潮。最近はとんと聞くことがなくなったスポーツの「国民的行事」化が久々に見られたといってよい。
かつてマイナー競技の代表格だったカーリングが日本中の目をくぎ付けにしたという現象がすごい。特に40代~50代の昭和生まれオジサンたちが大いに熱狂した。私の周りでも五輪終盤はロコソラーレ、というよりカーリングの話題で持ちきりだった。おそらく日本中どこのオジサンもそうだったはずだ。

 五輪最終日、そんなオジサンたちが大いに悲しんだのは日本代表がイギリスに敗れて銀メダルにとどまったことなんかではない。
「もうカーリングが見られない。今日からどうしよう」
という「カーリングロス」に他ならない。

「ロコ・ソラーレが可愛いから」じゃないと断じてみた

五輪におけるカーリング競技は1998年の長野大会から正式種目となっている。近年こそ五輪開催のたびに一定のブームにはなるが、当時はほとんど注目されていなかった。それどころか「氷上のチェス」と呼ばれるカーリングを「これスポーツなの?」という目で見ていた日本人がほとんどだった、というのが相場ではないか。このころの日本代表チームはまだ世界のトップクラスと肩を並べられるほどの実力はなかった。やはりゲンキンなもので、強くなれば注目もされる。次第にカーリング競技がもつ戦略性の面白さなども広まったが、マスコミがイジるのはむしろ試合中に交わされる普段着の会話やブレイクタイムのおやつだったり…
とりあえず代表チームのパーソナルな部分ばかりがクローズアップされ「ロコ・ソラーレが可愛いからオジサンたちが食いつく」という今の風潮には、オジサン代表として真っ向から反論したい。

別に「可愛い」を否定するつもりはないが、それだけでは日本人の心にあれほど刺さらない。

そこにあるのは日本人の心に脈々と流れる「ある志向性」によるものだと、ここでは考察したい。

昭和の日本人は「ターン制コマンドバトル」と「間合い」が好き

ひとつには昭和生まれの日本人がずーっと好きな「ターン制コマンドバトル」にカーリング競技が当てはまるからだろう。

コンピューターゲームの世界では、RPGでも今や主流はオープンワールドのアクションRPG。しかしアラフィフより上のオジサンたちはこの手が苦手で未だにドラクエ、ドラクエと言っている。ドラクエで育った世代は、相手とこちらで攻守が交互に入れ替わるバトルシステムが安心する。若い世代はこれがかったるいという。

スポーツの世界で言えば代表的なのは野球だろう。昭和の子供が好きなスポーツは1に野球、2に相撲だった。守る側と攻める側がターンを消化して交互に入れ替わる。守る側は攻撃を受け切り、次の回の反撃につなげる。昭和脳はこの形に安心感があるから、1992年にJリーグが発足した当時「本当にサッカーが日本人に浸透するのか」といぶかられたのは、日本人に流れるこうした指向性が理由だろう。一定時間内の動作の連続から成立するスポーツに対して昭和生まれの日本人にはあまり免疫がなかった。
野球、かつて毎週ゴールデンに枠を持っていたプロレス、世界大会のたびに熱狂するバレーボールなど日本人が好きなスポーツはほとんどがターン制コマンドバトルのものだ。

そうした上で大切になってくるのは一定の間合いである。代表的なのは相撲。ことスポーツという観点から言えば、あの4分間の仕切り時間は何の意味があるのかと思うが、あれを経て場は徐々に盛り上がり、いよいよ立ち合いというところで最高潮を迎える、という様式美が日本人は好きなのだ。例えば力士が土俵に上がって仕切り線につくや否や始まったとしたらまるで味気ない。動作の連続で構成されるスポーツが昭和の日本人の琴線に届かないのは、この間合いがないからではないか。

例えば冬季五輪の種目でも、昭和脳オジサンがことさら好きなのはスキージャンプ。1972年の札幌五輪で金銀銅を独占して以来、日本人のお家芸とされた時代もあったが、近年はルール改正などで日本選手は不利をかこつようになった。長野五輪でご存じラージヒルと団体で金を取り、そこから24年を経て今大会では小林稜侑選手がノーマルヒルで金、ラージヒルで銀という成果を収めたのだが、昭和のオジサンは昔っから冬季五輪ではなぜかアルペン競技よりもジャンプに食いついている。これは日本人が強かったという理由だけではない。
 スキージャンプの画面は昭和脳の好きな要素あふれているからだ。アプローチ前にアップになる選手の姿、覚悟を決めてアプローチに踏み出すところ、アプローチの「間合い」にあるドキドキ、そして「速度が上がった→踏み切った→高い→伸びる→K点を超えた→テレマーク」という既定のコマンド。

 そうした昭和脳オジサンが好きな要素を、カーリングという競技は満たしている。
ターン制バトルであり、得点表示だけ見るとまるで野球のスコアのようだ。動作の非連続性と間合いがあり、投げる前に選手がアップになる。付け加えて言うならば、エンドの終盤は事実上スキップ同士の一騎打ちになる展開も昭和脳オジサンの好きな様式美である。

このように、ロコ・ソラーレの人気だけではなく、カーリングの競技自体に実はオジサンを惹きつける要素が満載されていたというわけだ。

モグモグタイムも「そだねー」もいらない。
オジサンはカーリングを面白がれるようにできている。

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